広く知られるイタリアの南北差。そのナニとナゼを知っていますか?
そもそも南北の境ってどこ?
イタリアは南北およそ1000キロメートルに渡って広がるブーツ型の半島ですが、どこが南北の境目なのかは人によって意見が異なり、イタリア人の間でも長い長〜い議論が交わされています。
国家の統計上は、イタリアは5つの地域に分けられ(北東部、北西部、中部、南部、島しょ部)、南部にはカンパーニャ、アルブッツォ、モリーゼ、プーリア、バジリカータ、カラブリアの6州が入ります。
「南イタリア」というと、一般的にはこの6州にシチリア州を加えたもので、イタリア統一前の両シチリア王国の領土として文化的・経済的に強い繋がりがあると言えます。ここに、ローマのあるラッツィオ州やサルディーニャ州を加えることもあります。
また、川によって分断するという考え方もあり、ポー川、アルノ川、テヴェレ川がその境目の候補です。
夜も美しいイタリア、左が北、右が南 Photo by NASA
文化的・経済的な繋がりは、現在のイタリア共和国が出来るまでの歴史に大きく関係します。イタリアが統一されたのは1861年。それまでは、統一を実現したサルディーニャ王国、オーストリア配下のロンバルディア、ローマ教皇領、ブルボン家の両シチリア王国など多数の国家が分立、それぞれの土地でそれぞれの発展をとげていました。1861年は今からわずか約160年前の出来事ですから、それぞれの地方の文化や経済状態が今も大きく名残を残しているのは自然なことでしょう。また、イタリア人はとても郷土愛が強く、かつ保守的なので、融合にはより時間がかかるとも言えるでしょう。
統一前のイタリアの地図 Map of Italy in 1843 Photo by Wikimedia common
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南北の違い 人柄も食べ物もそれぞれ
日本人から見るイタリア人は、陽気でおしゃべりでいつも女の子を口説いているイメージが多いと思いますが、これは南イタリア人のイメージです。北イタリア人は陽気でおしゃべりなのはそうですが、南イタリア人にドイツ人の勤勉さをミックスしたような人が多く、よく働きます。
一千万回近く再生されている YouTube の「NORD vs SUD – Le Difference(北と南 – その違い)」。イタリア語が分からなくても、なんとなく分かりますのでぜひご覧ください。
食べ物が違うのはもちろんのこと。南北に限らず、イタリア料理というものは存在しないと言われるほど、各地にそれぞれの地方料理が存在します。
南イタリアの料理は、素材を活かしたさっぱりしたものが中心。太陽に恵まれた暖かい土地からとれるオリーブオイルとトマトが、料理にたくさん使われます。そのほか、魚介類、乾燥パスタ、にんにく、唐辛子などがよく用いられる食材でしょう。
北イタリアの料理は、寒さをしのぐためかこってりしたものが多く、料理にはバターやクリーム、チーズが多く使われます。隣接するフランスやオーストリア等の影響も大きいと考えられます。リゾ(米)、生パスタ、きのこ、牛、ジビエなどをよく用い、煮込み料理や肉料理が多め。ニンニクをたっぷり入れた料理にはあまりお目にかかることはなく、ミラノ在住のイタリア人によれば、匂いがつくから嫌がられるそう。
南北の大きな経済格差
南北イタリアには大きな経済格差があり、経済的・政治的な課題として、イタリアだけでなくヨーロッパの悩みの種です。一人当たりのGDPは南は北の55%ほど、失業率は約4倍です。この経済格差が課題として認識され始めるのはイタリア統一前の1830年ごろ、さらに1861年のイタリア統一により拡大します。
北部を代表する都市ミラノの高層ビル Photo by Italiamo
北イタリアには、アルプス山脈から湧き出る豊かな水源や肥沃で広大なパダノ平野に恵まれた農業地帯が広がります。さらに、輪作(※1)を行ったり、酪農と結びついた集約的農業の展開を行い、生産性が大きく向上していきます。一方の南イタリアでは、夏の乾燥のため、灌漑(※2)を行わない限り2年に1度だけ取れるコムギ以外はオリーブや果樹の生産が中心になります。灌漑農業や樹園の造成には大きな投資が必要でしたが、大土地を所有する地主はそれを行わず、集約的農業の発展を阻害しました。
※1:同じ土地に別の性質のいくつかの種類の農作物を何年かに1回のサイクルで作っていく方法
※2:農地に人工的に水を供給すること
ナポリの海 Photo by Italiamo
また、工業就業人口の南北差は、統一前はそこまで大きくありませんでした。ところが北部サルディーニャ王国が自由貿易政策をとり民間資本による工業化を進めたのに対し、南部ブルボン王家からの政策は保護主義的で官営工場や保護関税によるところが大きいという違いがありました。サルディーニャ王国による国家統一により、北部の戦略優位性が生まれ、こうして格差は広がり続けます。
第二次世界大戦後は、格差を是正すべく南部での農業改革の実施や大規模な公共投資(製鉄所や高速道路の建設)などが行われます。ところがこれらの南部政策は、既得権益を持つ北部の産業家などとの合意のもと実施されているわけで、表面上は南部にオカネを落としているように見えても、投資による間接的な波及効果は南部ではなく北部を潤す結果となるのです。また、建設された高速道路は、むしろ南部の労働者を北部で安い賃金で雇用する機会を作ることとなります。こうして、南部に投資をして北部が潤い、イタリア経済全体がまわるという循環が生まれ、現在まで続くのです。
参考文献:歴史地理学「イタリアにおける南北 国際比較の視座の提起」;Sciendo 「The north-south divde in Italy: Reality or Preception?」
Photo by Italiamo
以上、軽い話題から、深刻な経済問題までわたるイタリアの南北問題でした。なお、イタリアの南北問題には様々な研究、解釈が続いていますので、あくまでもそのうちの一説としてご理解ください。
ITALIAMO編集部