奥野義幸さんの成長の哲学 リストランテ・ラ・ブリアンツァ オーナーシェフ

ミシュラン格付ビグルマンに毎年選出されている「リストランテ ラ ブリアンツァ」。東京都内に直営4店舗を展開中、東京駅やサンフランシスコにも進出予定のオーナーシェフ奥野氏に、躍進の原動力を伺いました。

本場を知る

和歌山で料亭を経営する一家に生まれ育ちました。とは言っても、両親が料理人をしていたわけではなく、祖父は銀行家、父は金属メーカーというバックグランドで、頑固な職人さんを使って料亭を経営するのは苦労したようです。働かざるもの食うべからずという家庭で、日曜の午前は皿洗い。一方で、子供の頃から「吉兆」などの一流店に連れて行かれ本物を見る目を鍛えられました。

何事も本場を知れ、という教えがあったので、高校で国際交流コースに入った時はアメリカに行くんだろうなと思っていたし、親は教育に厳しかったので反発もあって高校卒業後はアメリカに逃げました。大学に通って経済学を専攻、アメリカ生活は楽しかったですね。その後日本でサラリーマンになったんですが、これがつまらない。それで食の世界に行きたいと思ったんです。

なぜイタリア料理かというと、当時流行っていたから。文化としてもまだ若いし、16-17歳から修行をする和食と違ってチャンスもある。アメリカでピザもパスタも食べ慣れていたし、ならば本場イタリアに行こうと決めました。都内のイタリア料理店で数年働いた後の、まだ20代の頃です。

料理だけではなく、その国を知る

イタリアでは、まず3ヶ月ほどバリスタ学校に通い、飲み物全般について学んだんです。そこで出会ったのが、地中海に面したリグーリア州チェルボの一つ星レストラン『サンジョルジョ』のアレッサンドロ。彼は英語が話せて意思疎通がしやすかった。働き口はないかと頼みこんだら話を通してくれ、『サンジョルジョ』で働くことに。そこでは、イタリア語が上手くなりたいという一心で皿洗いをしながらシニョーラカテリーナ(アレッサンドロのお母様)と毎日話していたら、よく働く子ねぇと、とても可愛がってくれて。

4ヶ月ほど経ったある日、シニョーラから「チェルボは夏が終わると閑散期になるから、次はピエモンテに行きなさい」と言われ、スローフード発祥の地ピエモンテ州の一つ星『アル ロドデンドロ』を紹介され、そちらへ。さらにお店を2件紹介された後は、自力で行くべき場所を探しました。十分習得したと思ったら次に行き、またその次、という風にイタリアには合計で3年強いました。

人気メニューの「黒トリュフのピエモンテ風」(Photo by Italiamo)

この3年強で得たものは、イタリアという国を知ること。これは、とある先輩シェフのアドバイスのおかげです。7年ほどイタリアで働いた方なのですが「修行をしに行くんじゃない、イタリアを知ってなんぼだ」と言われ、バールにオペラに色々と遊びました。修行ではなく遊ぶ方が目的でしたね。

それから、なんでもありなのが本場のイタリア料理。日本はレシピを型にはめる傾向がありますが、例えばおばあちゃんの作ったカレー料理はレシピなんかなくても美味しい。なんでもありの本場のイタリア料理を知って、違いを認めることこそが本物なんだという自信がもてた。

日本橋高島屋「フォカッチャ デ レッコ」店のフォカッチャは、リグーリア州レッコ村の伝統料理(La Brianza HPより

出会いを呼びこんで、大切にする

3年強経って、日本に帰国しないかと、あるレストランに誘われたんですが、条件面で合わなかった。そんな時、イタリア料理店を開きたいという人に出会って代官山にお店を出すことになりました。その後、権利などを買い取って麻布十番に移って、さらに森ビルからお声がけいただき六本木ヒルズに移転。かれこれのべ20年ほどになります。直営店も現在の4店舗から増えて5店舗になる予定です。

六本木店の外観(La Brianza HPより)

これまで出会った人には本当に恵まれていて、周りの人がいなければ今はなかった。本当に感謝しているし、幸せにしたいです。いい出会いを呼ぶために、見えない努力をしているというのはあります。例えば、小学校の時だったら、自分から積極的に遊びに誘えば、自分も誘われるようになる。また、選球眼を養うことも大切で、いろいろ網をはることによってこの人とは合いそう、とか、SNSで人気があるからいい人なんだろうな、とか分かるようになる。

多くの人が訪れるカウンター、正面奥がキッチン(La Brianza HPより)

自分がいる外の世界を知れば、視野は自ずと広がるもの。例えば、海外での経験は知見を拡げるし、成長スピードを早めます。海外に行くというと、日本では無理でしょう、大変でしょうといって冒険的なものになっている一方で、情報過多で海外を知った気になっている。「気にしない力」を養って、自ら垣根は取り除いて行動する。変人で心臓に毛が生えているくらいがちょうどいいんです。

飲食業界をサステイナブルに

今後は、サンフランシスコに新しくできるレストランのシェフ兼パートナーとして、年間3−4ヶ月過ごす予定です。日本では僕はイタリア料理を提供しているけれど、サンフランシスコでは醤油や味噌も使って、繊細なジャパニーズ・イタリアンを提供したい。あちらでは日本人であることが武器であり、より僕らしい価値を出せる自信がある。自分にブランド価値がつけば、会社も成長する。

気持ちのいい空間を提供してくれる六本木店(La Brianza HPより

オーナーもシェフもやるのは大変という人もいるけれど、僕はそう考えていない。上手に時間管理をして2倍の努力をすればいいんです。お客様にとっての「美味しかった」という体験は、料理だけではなく、サービス、空間、香り、全てなんです。「美味しかった」が100点満点だとして、例え 1 が欠けても体験としてはゼロになってしまう。100 – 1 = 99 ではない、ゼロなんです。だから100点を取らなくてはいけない。かと言って、一つの要素で満点をとることを目指すのではなく、全てをきちんとやれば、自ずと満点は目指せる。オーナーシェフとは総合格闘技のようなものです。

飲食業界は、そこに携わる人口と比べると生み出す利益が非常に少ない。長時間働いてこれでは笑顔でサービス出来ないし、スタッフが笑顔でなかったらお客様も笑顔にならない。料理が美味しいのは当たり前の話ですが、利益率をあげ、自動化できるところには投資をしていこうと考えている。例えば AI を導入することによってフードテックを促進していくのは重点分野ですね。効率が良くなって行けばチームがインプットする時間も増やせて、サービスの質も上がる。攻めの経営でサステイナブルな産業構造に変えていきたいんです。

 

ラ ブリアンツァ
住所:東京都港区六本木6丁目12-3 六本木ヒルズレジデンスC棟3階
営業時間:ランチ 11:30~15:00(L.O.14:00)
ディナー 17:30~23:00(L.O.22:00)
定休日:年中無休
http://www.la-brianza.com

オーナーシェフ 奥野 義幸氏 プロフィール

和歌山県の料亭に生まれ育ち、子供のころから料亭や料理旅館へ家族で行き和食に精通するようになる。米国の大学卒業後、企業に勤めるものの飲食への思いがあり、当時はやっていたイタリア料理の世界に興味を持つ。都内のイタリア料理店を経てイタリアへ料理留学。イタリア全州にて各地の料理を学び、1つ星・2つ星を取得している8店舗にても経験を積む。特にピエモンテ州、リグーリア州の料理を得意とする。現在オーナーシェフを勤めるラ・ブリアンツァではピエモンテ州の特徴を組み込んだトリュフのオーブン焼きに定評がある。

オーナーシェフとしてイタリアンを基本とした奥野スタイル料理を展開する他に都内と韓国に数々の店舗向けに経営コンサルティング及びレシピを提供している。

略 歴
和歌山県出身。
米国の大学を卒業後、ホワイトカラーを経て飲食業界へ。
東京のイタリア料理店数点を経て渡伊。
ピエモンテ州「アル ロドデンドロ」1つ星、
リグーリア州「サンジョルジョ」1つ星、
ロンバルディア州「アル・ベルサリエレ」2つ星など計8店舗。
イタリア全土で修行後帰国。

 

ITALIAMO編集部

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