雑学・豆知識:「Lo Stivale(ブーツ)」の形をした半島に位置する美しい国イタリア。この地は、なぜ「イタリア」と呼ばれるのでしょうか?
由来は諸説あり
現在のイタリア共和国は、サボイア家による統一によって1861年に誕生しましたが、政治的に統一された一つの国家の名前として初めて「イタリア」の名が使用されるようになったのは 1800年初頭のナポレオン統治時代。では、なぜ「イタリア」という名称が生まれたのでしょうか。
仔牛の大地 イタリア
イタリアという国名の由来には諸説あるようですが、一般的には「仔牛の大地」を意味する古代ラテン語の『Víteliú』が変化したという説が有力です。一番最初は、カラブリア州の一部の地域名でしたが、徐々に広がっていきます。
イタル人の国の意味で、牛を表す「ビタロス」という古ラテン語に由来する。半島南部で多くの牛が放牧されていたことからギリシャ人が名付けた。4世紀のローマ帝国の滅亡後、長い間、小国分裂時代が続いたが、1861年に統一イタリア王国が成立したときに古名が復活した。(出所:東京都立図書館)
古代ギリシャ人による地図、ブーツの先がイタリアという地名になっている Photo by Wikicommon
一般的な説として、紀元前6世紀ごろに南イタリアのカラブリア地方で子ウシ(ビタリ)をトーテム像として崇拝していた原住民に由来するといわれる。彼らはビタリ人と呼ばれていたが、その後ビタリがイタリアに変化し、その呼称がローマ人に受け継がれ、現在のイタリア半島に住む人々を指すようになった。(出所:日本語版Wikipedia)
イタリアと呼ばれるようになった地域の変遷 Photo by Wikicommon
ワインの大地 イタロ王
一方、さらに歴史をさかのぼると伝説があります。
トロイア戦争が起こった、さらに16世代前にさかのぼる青銅器時代の神話によれば、当時エノトリと呼ばれる人たちが現在のカラブリアに住んでおり、そこを治めていたのがイタロ王。彼の名をとってイタリアという名が付いたというのが別の説。
“The region, which is now called Italy, anciently was inhabited by the Enotri; in that time their king was Italo, then they changed their name to Itali; succeeding Italo Morgete, they were called Morgeti; then came a Siculo, who divided the people, who were then Morgeti and Siculi; while Itali were those who were called Enotri” - Antiochus of Syracuse, in Dionysius of Halicarnassus 1, 12 vg.
(日本語訳)現在イタリアと呼ばれるその地域には、古代にはエノトリ人が住んでいた。当時の王の名をイタロ王といい、その地の名をイタリと変更した。イタロ・モルゲーテを継ぐものはモルゲッティと呼ばれ、人々を分断したシクーロが現れてからはモルゲッティとシクーロがいた。その間もかつてエノトリと呼ばれた人たちはイタリであった。(出所:Antiochus of Syracuse, in Dionysius of Halicarnassus)
エノトリ人は農業を主として営んでおり、ブーツの先端にあるアスプロモンテ地方ではワインを作っていました。エノトリという名はギリシャ語のワインを意味する Oinos からくるという説があり、ここはワインが初めてイタリアに伝わった地として知られる「ワインの大地」でした。
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どちらの説が本当にせよ、古代の時代にワインを作り仔牛と共に暮らす、そんな風景が目に浮かびます。
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ITALIAMO編集部