サンタ・クロースのモデルとなった聖ニコラウスのゆかりの地は、プーリア州バーリにありました。
今でもサンタ・クロースが眠る街バーリ(Bari)
クリスマスに、世界中を飛び回って贈り物を届ける子供たちのアイドル的存在がサンタクロース。そのサンタクロースのモデルとなった人物は、イタリアのかかとプーリア州の州都バーリ(Bari)に眠っていました。
「ミラの聖ニコラウス」もしくはイタリア風に「バーリの聖ニコラ(San Nicola di Bari)」と呼ばれる人物は、3世紀ごろローマ帝国の小さな町ミラ(現在のトルコにある)で司教を務めていました。聖ニコラウスの聖伝には弱い者を助けた話や、信仰の弱い者を教えて真理を守らせた話が数多く残っていますが、中でもサンタクロースの伝説となった逸話がこちらです。
生まれは貴族だが、貧乏な隣人がいた。その人は、娘が三人あって、困窮のあげくに三人に春をひさがせ、娘たちの恥辱で得た金で暮らそうと考えた。聖ニコラウスは、これを聞いて、その罪深さに驚いた。彼は、金塊を布に包むと、夜密かに貧しい隣人の家に窓から投げ込んで、そっとまた帰ってきた。隣人は、朝になって金に気づき、神に感謝し、その金で長女の結婚式をあげた。ー1267年ごろに完成したヤコブス・デ・ウォラギネによるキリスト教の聖人伝『黄金伝説』(Legenda aurea)より
三人の娘が居る貧しい家に金を投げ入れるニコラオス(画:ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ)
聖ニコラオスはミラの地に永眠しますが、イスラムとの戦乱の中、1087年にバーリ商人たちが聖人の遺骨を持ち去ります。この聖遺物を納めるためのサン・ニコラ教会がバーリに建設され、以来バーリは同聖人崇拝の中心地となりました。その後、13世紀から16世紀にかけて、聖ニコラウスは贈り物をもたらす揺るぎない存在となり、亡くなった12月6日を中心に祝福されるようになりました。
サン・ニコラ教会と聖ニコラウスのお墓
なお、現在のサンタ・クロースのイメージが定着したのは、サンタ・クロース伝説が北米に渡ったあととされています。それまでのサンタ・クロースは着るものも姿形もまちまちでしたが、コカ・コーラ社の1930年代の広告によって、赤い服をきた現在のサンタ・クロースのイメージが定着したと言われています。
ライター ITALIAMO編集部