雑学・豆知識:「ルビコン川を渡る」という言葉を聞いたことはありますか?この言葉の意味は、ローマの執政官カエサルの逸話にさかのぼります。
「ルビコン川を渡る」とは?
ルビコン川は、イタリア北東部の街リミニ近くを流れアドリア海に注ぐ小さな川。
「ルビコン川を渡る」という表現は、一線を超え、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味します。
時代背景
古代ローマの将軍、執政官、終身独裁官として有名なユリウス・カエサル、またの名をジュリアス・シーザー。
当時のローマは、初代皇帝アウグストゥスを迎える直前の三頭政治の時代で、ポンペイウス、クラッスス、そしてカエサルの三人が国を治めていました。ポンペイウスとクラッススの企みによりカエサルはローマの地に留まることができず、ローマの属州を治めることとなりますが、現在のフランス南部であるガリアの地での他民族との戦いに次々と勝利、征服し、ローマの領土を拡大します。
その功績とローマ市民からの人気を恐れたポンペイウスは、紀元前53年にクラッススが死ぬと、まだガリアにいるカエサルを出し抜くチャンスと見て、それまで対立していた元老院派と手を結び、カエサルに召喚命令を出します。
このままローマに帰れば、政治生命はおろか命の危険もあるという状況で、カエサルは南に軍を進めます。ルビコン川は、当時カエサルが統治を任されていたローマの属州と、ローマおよびその直轄領とを隔てる境界線であり、将軍が軍を率いて本土に入ることはローマの法律で禁じられていました。つまりルビコン川を渡るということは、ローマ内戦の開始を意味したのです。
その時の決断が「ルビコン川を渡る」
賽は投げられた! Alea iacta est!
と言ってカエサルは進軍を決定するのでした。
その後
ローマの都を投げ出したポンペイウスはギリシャに逃れ、何度かの戦を経て負けが決定的になってからエジプトに逃亡、そこでクレオパトラの弟であった14歳のファラオ、プトレマイオス13世に殺害されます。
こうしてカエサルは内戦を制し、終身独裁官となります。その間、クレオパトラとの間に恋が生まれ、子供ももうけました。
が、巨大な権力を握ったが故に暗殺され、
ブルータス、お前もか Et tu, Brute?
と言って亡くなったのでした(シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」より)。
ITALIAMO編集部